つわものどものゆめの跡

城郭に魅せられた女の訪城記録と妄想。

城絵図とたわむれる【松江城補足】

つい先日こんな記事をアップしたばかりなのだが、 面白いものを見つけたので補足。もしくは蛇足。

mechamatsuo.hatenablog.jp

  国立公文書館のデジタルアーカイブで正保城絵図という江戸時代の絵図が公開されている。

正保城絵図

正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。各藩は幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。幕末の同文庫の蔵書目録『増補御書籍目録』には131鋪の所蔵が記録されていますが、現在、当館では63鋪の正保城絵図を所蔵しています。昭和61年(1986)国の重要文化財に指定されました。

 なんと!なんとすばらしい!!!宝の宝庫か!!!本当にタダで見ていいの?ありがとう!ありがとう!

と、鼻の穴を膨らませながらスクロールしていくと、そのなかに松平時代の松江城の絵図があった。面白いねこれ。先述の記事を踏まえてちょっと気になったことを箇条書きにまとめてみた。

外周

  • 「新橋」はこの時点では存在しない。
  • 「北曲輪」侍屋敷。重臣が?かなりの広さ。土塀石垣立派な門の虎口。
  • 「宮」若宮八幡宮か。

三之丸

  • 御廊下橋の他に屋根のある橋が二つ。三之丸の内(御花畠)へ繋がっているので大奥的なところにお殿様が通う時に通るのかも?さらに他2か所の虎口(ただの木橋など)が家臣が行き来するところ?
  • 「南口門」意図通り見えない。両側を石垣土塀で囲んである感じ?

二之丸下ノ段~北ノ門

  • 「脇虎口ノ門」櫓門。土塀で内桝形っぽく屈曲させているようだ。内側の門はなし。あの礎石はなんだったんだ…。
  • 「二之丸下ノ段」曲輪全体を土塀で囲んでいる。
  • 「中曲輪」土塀で区切られている。どこから入るんだこれ。
  • 「北側虎口」石垣は足された後。直進方向に屋根だけの簡素な門。折れ曲がってない不思議。
  • 「北ノ門」多聞の櫓門っぽい。左右に櫓。西方向へは多聞櫓。東方向へは土塀。
  • 「奥手口の門?」記載なし。秘密ルートか後で作られたか。

後曲輪~西ノ門

  • 「後曲輪堀側」「土居」とあるので遺構だったっぽい。土塁の上に土塀。石垣の変わりだろう。
  • 「舟着門」記載なし。以下略。でも徳川の城なんだよなあw幕府に隠す必要とは。もし実在したのであれば、土塁土塀に切れ目を入れる必要があろう。
  • 「西ノ門」屋根にマチがあるので薬医門か高麗門だろうか。

三ノ門~本丸

  • 「ニノ門三ノ門」ん!?んんん!?この絵図だと横に並んじゃってません?手前のちっちゃいのが三ノ門なの?
  • 「本丸」2層の櫓が4つ。坤櫓・鉄砲櫓・祈祷櫓。と武具櫓?
  • 天守」入母屋が小さめ。唐破風ついてたっけ?鯱は天守・付櫓と祈祷櫓にも。

全体

  • 茶色と黒の屋根の違いはなんだ?瓦葺と板葺の違いかなあ。
  • あとこの絵図、建物が全体的に白いな?どういうことだ。天守は下半分はうっすら黒いので下見板張と漆喰が半々に見える。今と近い形。櫓は復元の時に天守に合わせたのか、このカラーリングの時があったのか。

 

以上思い付き。

 

こういった絵図というものがどれだけ正確に描かれているのが分からないが、写真のなかった時代、当時の姿を知るには絵図を頼りにするしかない。遺構と絵図の辻褄が合った時の嬉しさはやみつきになるものである。

あと、文字が読めないものが多いので勉強しないとなあ。尺だよな?呂って単位ないよな???