小早川隆景を追いかけてその3【新高山城】
新しい充電器を入手し、余計な時間と体力とお金を使った私は、地元のラーメン屋で昼食をかっこみ、次なる目的地へ向かったのだった。沼田川を挟んで対岸の新高山城へ。
面白いことに高山城と新高山城を山陽新幹線が貫いているのである。城主以外も乗れる(当たり前だ)。
左:新高山城 右:高山城
1552年、沼田小早川氏を継いだ隆景は、高山城の福塁だった新高山城を大改修して入った。と説明版に書いてあった。あれ?高山城には入らなかったのかな。1596年に三原城に移るまではこの城が本拠だった。
縄張図を見るとやはりいくつかの地点にまとまって曲輪を展開している。たくさんの面積を取る曲輪、高低差のみで曲輪を重ねていく。基本プランは似ているように見える。
1.鐘の段
名前の由来は分からないが、番所横から左手にそれていった一帯にあるのが鐘の段。
一部に土塁を伴う曲輪の周りに段状の曲輪を配置。シンプルな作りだが、曲輪間の高低差と広さは中々のもの。石積みが見られないところから古いのかも。元々の福塁としての部分でこちらには手を加えていないのかもしれない。
2.番所跡
三段の曲輪からなり、道側の縁には石積みを伴う。大手道を監視する…にしても大仰だと思うけれども。武者溜りとしても使えそう。
3.匡真寺跡
小早川氏の菩提寺跡で、隆景が父元就の7回忌、母妙玖尼の33回忌の法会をした場所らしい。吉川さん*1遠いからかしらね。あ、小早川の菩提寺だからか。毛利とは別に執り行ったということなのかしら。
曲輪周りには石積みと崩れた石、古い石段が残る。
敷地内には堂のあったであろう石積、瓦のかけら、庭を思わせる岩肌と立て石、すぐそばに池の名残のようなものが見られる。
4.中の丸~石弓の段~西の丸~北の丸
石段を上ると中の段。右手に進むと本丸方面になるがまず左手へ。
若干の高まりがある。登ると削平された曲輪になっている。降りにくそうだったので一度戻り回り込んで進む。
堀切というにはささやかな窪みを隔てて石弓の段。西の丸に向けて緩やかに上がる。なぜ石弓の段というのか気になる。
西の段との間にまた若干の窪み。
北の丸はちょっとよくわからなかったのでここで引き返してしまってもったいないことをした。縄張図を見ると連続竪堀があるのか?ぜひ再訪したい。でも西側って本家側でしょ?斜面が緩いだけなのかもしれないけど。
5.中の丸~本丸
中の丸まで戻り、本丸方面へ。礎石のようなものが散らばっているように見える。
崩れてしまっているが他に比べて大き目の石を集めた石垣。大手!といった感じだが、正面はこっちじゃないわね。この石積みを見ながら写真手前側に回させるのだろう。
遊歩道はここを進むように整備されているのでとりあえず進む。
虎口のような高まりと石列が。何か区切られていたのか。搦手的な道も生きていたのかも。
曲輪は広い。
大手門のあったとされる場所。こっちが正面のはず。という訳で中の丸まで戻り、曲輪を回り込むように進む。
土塁の切れ目は奥の曲輪への虎口。本丸へは土塁に沿って進む。本丸側、崩れた石。
すると一度小さな平場に出て、さっきのところに上がる桝形のような形。よくわからないところはこの先にも虎口のようなものがあるということ…。
さて、とりあえず右奥の詰めの丸へ進みましょう。
6.詰の丸
最高所なのかな。たくさんの巨岩や石仏があり、聖地のようになっている。
眼下に沼田川と高山城が見える。プリンみたい。
これ、ボタン押すと解説してくれるやつ。解説に返事してたらあとからカップルが来て恥ずかしかったやつ。
7.釣井の段
本丸下にある曲輪。いくつもの井戸がある広い曲輪。ここが本当に素敵でしばらくうっとりしていた。釣井の段って吉田郡山城にもありますよね。同じ人がつけたのか、毛利流の呼び方なのか。
本丸から釣井の段へ降りる。石垣が積んである不思議。横の道に対する化粧だと思うんだけど誰に見せるのか?通るのは城内の人なのでは?
この素敵道。むしろ大手っぽい。でも井戸のある曲輪を通ってくるわけないし。不思議。
井戸がいくつも集中している。たくさんの家族が住んでいたのか、城の台所的な空間なのか。石組みの井戸には今でも水が。
本丸から見て右手には低い石垣がいくつか見られる。ライゲンガ丸、東の丸へと続くらしい。ライゲンガってなに。ググっても出てこない。
釣井の段にもわずかな土塁のような高まりで区切られているように見えないでもない。
本丸側と中の丸(2)を見ると結構な高低差。
中の丸(2)へ上がってみる。
広い曲輪。見下ろすと高さがよくわかる。この曲輪が本丸手前の土塁の切れ目の先につながる曲輪である。
8.まとめ
新高山城は古い時代の土の城である鐘の段と石垣を使った本丸部からなる巨大な山城。西側に連続竪堀がある(らしい)ものの、堀切や土塁はなく、虎口もあいまい、自然地形を利用しつつだだっぴろい曲輪を重ねているだけで、とても技巧的な作りとは言えない。たくさんの井戸や菩提寺を内包している生活空間なのだろうか。とはいえ軍事的な城が周りにあるかといえばそんなことはないし。多分。
高山城もそうだったし、吉田郡山城もここと似た印象なので、毛利流の山城なのかしらん。類例を探っていきたい。
9.おまけ
三原・宗光寺の山門が新高山城大手門の移築だと聞いて行ってみた。
現地看板には「規模・細部意匠から福島氏が現地に新築した可能性が高い」とのこと。そうですか・・・。
新高山城
JR本郷駅から徒歩20分→A
宗光寺
JR三原駅から徒歩12分→B
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