つわものどものゆめの跡

城郭に魅せられた女の訪城記録と妄想。

小早川隆景を追いかけてその1【三原城】

戦国無双4、4-Ⅱをプレイしてすっかり隆景きゅんのファンになってしまった私は、早速現地へ飛んだ。

隆景きゅん像

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ーザックリ小早川隆景と城ー

小早川隆景毛利元就の三男で竹原小早川家に養子に入り家督を継ぐ。後に沼田小早川家をも相続、両小早川家が統合される。隆景は新高山城に入ったが、三原に城を作り移る。秀吉に従い朝鮮に城を築いたり、筑前名島城に領地変えされたりしたが、養子の金吾さんに家督を譲り、隠居場所として三原に戻ってくることになる。

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なぜか全部ピンボケ・・・。 

原城は沼田川河口の大島と小島を石垣でつないで築かれた。舟入場を備えた海城で満潮時には城が海に浮かぶように見えたことから「浮城」なんで呼ばれていたようです。

どうも永禄の頃に築城は始まっているらしいが、石垣はもっと後でしょう。天正10年頃と慶長元年頃に改修が入っているとのこと。慶長よりは後かと。

 1.天守台(駅側から)

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原城はJR三原駅を取り込んだ城である・・・。駅構内から天守台に出られる超駅近物件である。山陽鉄道ザケンナー

薄暗い階段を上がると、ちょっとした公園のようになっている。この天守台めっちゃ大きくて、広島城サイズだと6つも入るらしい。あったのかなあ天守

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 天守台石垣。高い。これは高いし勾配が美しい。「余人は真似るべきではないアブリ積みという特殊な工法」で積まれたらしい(説明板)。なんのこっちゃ。

ざっとググった限りでは面の方が控えよりも寸法が大きくなる積み方のようで、まあ普通はやらないよね。敢えてなのか不可抗力なのか。

小さな石を大きく見せたい、くらいの理由くらいしか思いつかない。でも瀬戸内っていい石いっぱい取れると思うんだけど。

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調査のため堀の水位を下げているとのこと。よく見えないけど外側の石垣はいつくらいのだろう。積み直しっぽいところもあるけどオッケーかなあ。わからん。

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何かの施設を作っている模様。

2.本丸中門跡

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ペアシティ三原の西側に残る本丸中門跡と堀。写真奥は落とし積みになってますね。

 

3.臨海一番櫓跡

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ていうかね、中門のすぐ脇ですわ。ここも落とし積み。臨海という名前だけあって、当時は海に面していたようです。かわいい黒猫ちゃんに遭遇。

4.五番櫓・舟入櫓跡

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三原市市民福祉会館とイオンの間くらいに残る石垣と堀、というか海の名残かな。矢穴と刻印が見える。石材が加工されているので天守台よりは後かな。

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角も算木でいいですかね、これは。

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結構奥まったところまで続き、行き詰ったところが舟入でいいのかな。

5.和久原川水刎

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川岸から川中に三角形に石垣を築き、川の流れを弱める役割と、川の流れを変えて三原城の東築出の用地を確保する為に作られた(説明板)。

形自体は稜保を思わせるが、堤防の役割を担っていたようである。

6.東大手門跡

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山陽道の神明大橋を渡ったあたり。街道は変わっていなければ城内を通過していたことになる。

7.天守台外から

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トンネルを作るために後から積んでる。もともとあった石積みを壊しているんだろうな。

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線路下。こういうの見ると悲しくなってしまう。

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再び外へ。発掘調査の結果が。現在は埋め戻され、歴史公園として整備される予定とのこと。報告書読みたい。

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天守台南西の角に注目。これ立石積みじゃね?ということは文禄以降?というか朝鮮から帰国した直後と見るべきか。ハッ!アブリ積みってもしかして立石積みのこと言ってんのか?長辺を立てて使うから控えの方が短くなる、よな?

8.作事門

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城内にあった御作事奉行所門を明治10年に順勝寺に移したもの。

築城当時の現存で永禄から天正のものと思われる。本瓦葺、切妻造りの四脚門。扉が片方外れてしまっているけれども・・・。

9.まとめ

山城から平城へ。本家も吉田郡山から広島城に移ってるし、利便性を考えたのだろう。海に突き出た海城でもあり、水軍を持つ小早川ならではといったところか。木津川の合戦にもここから出陣したのでは、と思うと胸が高鳴るのであった(*´Д`)

 

原城

天守台→JR三原駅二階

本丸中門跡→臨海一番櫓跡→五番櫓跡→舟入櫓跡→和久原川水刎→東大手門跡→順勝寺

徒歩30分くらい

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