木造復元天守の説得力【大洲城】
天守を木造で復元したことで有名な大洲城へやってきた。城の面した肱川は肱川あらしといわれる自然現象が起こるのだが、到着した時は無風状態、城も城下も朝霧に包まれていた。
大洲城は鎌倉時代伊予の守護、宇都宮氏の地蔵ヶ岳城を前身とした梯郭式平山城。小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主になり、近世城郭として整えられた。その後加藤貞泰が明治維新まで城主だった #oozujo pic.twitter.com/MI1unX7Mma
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2014年12月21日
平山城であるが、肱川に面している天然の要害。このタイプの城が大好きだったりする。岐阜城とか犬山城とか。岩国もかな? 当時は水堀もあったりで、水城っぽくもある。#oozujo pic.twitter.com/ewjipmPrTq
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城下には桝形とか、三の丸という地名が残っている。ここが大手で、桝形を左に曲がり、右に曲がりさらに左に曲がるお城らしい道。というか、二回目の曲がり角、曲がらない先は内堀だった #oozujo pic.twitter.com/z52T9ITXAY
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このまっすぐ伸びる道がかつては土橋であり、櫓門を使った桝形になっていた。石垣が一部残る。絵図からすると割と初期の形?高麗門を使った完全な四角形の空間になっていない。あっこれ、土橋に土塀ついてね?珍しいやつだ。 #oozujo pic.twitter.com/p9JexVraVj
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門の名前忘れた。櫓下御門。二の丸の大手門。曲がってすぐのこのあたりとか市民会館があるところも二の丸でいいんだろうな #oozujo pic.twitter.com/zMsMtVR88p
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下台所。城内の食糧庫。当時の建物とのことだが漆喰綺麗。穴が開いてるのは通気性かな? #oozujo pic.twitter.com/J5Ya4ebkm8
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二の丸御殿跡。坂の左側に壇状に石垣で区切られた郭があり、下の段が表御殿、上の段が奥御殿になっていたようである。 #oozujo pic.twitter.com/oJNotJAAsj
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発掘調査で見つかった天守の礎石が展示されている。16個のうち6個が見つかった。あとは抜き取られていた。石は緑泥片石で、フジツボが付着しているものがあることから肱川河口の長浜周辺の海から運ばれてきたものらしい。 #oozujo pic.twitter.com/woKKsUaKT8
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反対側も郭っぽくなってるが絵図には建物の形跡なし。道は左に曲がる坂道。本丸下の石垣はなんかドキドキする積み方。野面積かな。角は意識して算木っぽくしてる感じ。よく見ると上の方、現代かな、積み足してる。 #oozujo pic.twitter.com/TcanfqroAF
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さっきの石垣を回り込むように道は続き、左に郭、そして後門番櫓。石塀に付属する櫓とのこと。外観復元。まだ二の丸です。(笑)櫓の先180度向きを変えると本丸。 #oozujo pic.twitter.com/7JZouL05ca
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本丸の前に。御門番櫓の先にもまだ二の丸が。北東隅に付櫓付きの二層の櫓、鉄砲櫓と西隅にも二層の櫓、玉櫓があった。これらは肱川越しの攻撃に備えて堅固な作りになっていた。大砲なら届いちゃうのかな? #oozujo pic.twitter.com/9SCumHdUdK
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本丸。緩やかな右曲がり坂道、左側にかま櫓という二層の櫓があった模様。 #oozujo pic.twitter.com/k1loI00Glw
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左側じゃないよ右だよボゲ。左側には井戸丸。本丸唯一の井戸で直径約3.8メートルもあり、国内でも最大級の本丸井戸。 #oozujo pic.twitter.com/9MXtCgY1R8
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そうそう井戸丸下の石垣。ドキドキするわー #oozujo pic.twitter.com/fH3lckDY4S
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井戸丸から天守。と、高欄櫓。天守台の石垣は過去の地震で修復された記録が残っているらしい。二列の石垣が発見されている #oozujo pic.twitter.com/ficLIeqgwO
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あ、こっちの方がおめでたい感じ。 #oozujo pic.twitter.com/yrSA4gUSLO
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井戸丸の先に面白い遺構。天守への最後の門、暗り門である。城内最大の櫓門。門の前を石垣がぶった切り、左に折れて石段を上がると台所櫓の前に出る形になっていた。折れ曲がっている部分に櫓が覆い被さり「暗り」という訳だ #oozujo pic.twitter.com/GJonLxPskv
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本丸上段。天守、台所櫓、高欄櫓など主要な櫓をぐるりと多聞櫓で繋ぎ本丸全体を櫓で囲うという堅固な作りになっていた!一部切れ目と下に伸びる道を発見。後で模型を確認したら川まで降りられるようになってますな。脱出路かな? #oozujo pic.twitter.com/qKyIr81SAT
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天守は高欄櫓(左)と台所櫓(右)を伴う複合連結式の天守。4層4階の層塔型。古写真や雛形が残っていたことが幸いし、当時の姿を取り戻した。戦後初の木造復元として有名。雛形は市立博物館で見られる。 #oozujo pic.twitter.com/kzfRt1VP90
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台所櫓から中に入ります。説明文にある土間というのが、多分入口のところ。斜め上のが煙出し用の格子窓。
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二階には上がれません(´・ω・`) ショボーン
川に向けて鉄砲狭間がある。 #oozujo pic.twitter.com/DcTsHgeibo
天守内部。ぴかぴかだなちくしょう!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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心柱は中心ではなく半間(1メートル)北寄りにあるという珍しい作り。吹き抜けがあるのも珍しいようです。 #oozujo pic.twitter.com/XkSVdVx8Bz
二階に向かう。この梁は木曳き式に使用したもので3番目に大きな梁。大好きな破風の間がある。#oozujo pic.twitter.com/l4LyoC0xB3
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二階は花頭窓がついている。ええと、向こうに見えるのは台所櫓かな? #oozujo pic.twitter.com/rBk4j4NEDC
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3階。武者走りがなくなる。梁は組んず解れつでどうなってるのこれ。 #oozujo pic.twitter.com/2ETBh1J85U
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4階。だんだん急になる階段。そうそう四層の天守も珍しいようです。天井には棟札と上棟祭で使った祭礼具。 #oozujo pic.twitter.com/8gxBeXa2j8
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残念な感じだが、4階からの景色。この日だけが特別な訳じゃなくて、よく朝霧が発生する地域とのこと。 #oozujo pic.twitter.com/6pccjZJlLL
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これは本丸からだが、昼過ぎには快晴になった #oozujo pic.twitter.com/YG0Vm3V67S
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一階に戻って、多聞櫓から高欄櫓へ。年季が入ってますなあ。 #oozujo pic.twitter.com/k15GKFqwXW
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高欄櫓二階。名前の通り、高欄がついている。あれやっぱさっきの高欄櫓だったのかな。天守をのぞく時、天守もまたこちらをのぞいているのだ。 #oozujo pic.twitter.com/a8vqFvSr3c
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天守を出て、本丸下を歩いて見た。暗り門の下のあたり。横から見ると線がまっすぐじゃないのがわかる。し、最後の写真の石垣は打込接だよな。矢穴みたいなのが見えるし、横目地が通っている。比較的新し目だな。 #oozujo pic.twitter.com/dahUp5oKcf
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水の手櫓、水の手門跡。階層的には下台所櫓がある二の丸のあたりくらいかな。肱川に面して郭があり、東隅に櫓と門があった。ここを出るとすぐ肱川である。ここの石垣もなかなかの迫力である。 #oozujo pic.twitter.com/DmTaqRC8ah
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川沿いに歩いて見ると、段状に石垣が連なっている様子がよくわかる。鉄砲櫓玉櫓がある郭の真下に当たる。余程川越しの敵を警戒しているのかな。 #oozujo pic.twitter.com/mGqufz4kZu
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北の菱御門(二の丸搦手門)跡。上は番所のある郭かな。下は帯曲輪やさっきの北側川沿いの郭に繋がっている。 #oozujo pic.twitter.com/6q9c0sy95A
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内堀跡は宅地造成のために埋め立てられ、一部が内堀菖蒲園となっている。ここが内堀の北端。 #oozujo pic.twitter.com/GmsutSL9Cr
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内堀跡、と外側の三の丸。 #oozujo pic.twitter.com/IxgqFdvelV
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三の丸南隅櫓。外堀に面した二層の櫓。石落としつき。 #oozujo pic.twitter.com/kgV22FrLeu
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中に入れた。踏み抜けそうな階段である。二階の壁は堀側が太鼓壁になっており、隠し狭間もある。彦根城で見て以来だなあ。 #oozujo pic.twitter.com/CbKv24o1gD
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外堀のほんの一部が残っていた。南端にあたる。南側の川から水を引き込み、堀幅は80メートルにも及んだとのこと。 #oozujo pic.twitter.com/y1s2SW28xZ
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ちなみに南隅櫓のあるお殿様公園には大洲藩主加藤家の屋敷もある。 #oozujo pic.twitter.com/w92aW2QACy
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最後に。二の丸に戻って川に面した二の丸東端の苧綿櫓。二層石落とし格子窓つき。天保年間に再建されたもの。昭和の解体修理で、洪水に備え石垣を2.6メートルかさ上げした。ちなみにおわたやぐらと読む。\(^o^)/オワタ #oozujo pic.twitter.com/hT9amxEsVq
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すべての天守を木造で復元するべし!という意見に全力で賛同はできないけど、木造天守はいいぞ。
大洲城
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