平山城
プレムアム宿泊券の期限が1月末までということもあり、冬はあまり天候が良くないと知りながら、逆に空いていて見やすいのではという下心で国宝再指定*1に沸く松江城に行ってきた。 松江城は木造現存天守を有する連郭式平山城。石垣と堀で防備を固めた近世城…
日本城郭史講座の先生のお誘いで、縄張図の会に参加しました。 結果は惨憺たるものでしたが楽しい一日でした。 ありがたやありがたや。 武蔵勝沼城まとめ。 訪城日2015.12.20 天候:晴れ 縄張図を書きにいって散策にはしゃいでしまった城。2015年ラストの城。…
大多喜を後にして、国吉にやって来ました。うわーお。 万木城まとめ。 訪城日2015.12.6午後 天候:曇— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 12月 31 万木城の詳細はよくわかっていないが戦国末期には完成していたようである。小田原北条氏配下…
千葉県立中央博物館 大多喜城分館の企画展「甲冑とその時代」を見に行きました。 大多喜城まとめ。 訪城日2015.12.6午前 天候:晴れ— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 12月 30 大多喜城は小田原北条氏滅亡後、本多忠勝が入封。西から東に…
シルバーウィークの締めくくりに盛岡城を舐めるように歩き回りました。 図らずも三戸南部氏の拠点の移り順をなぞるようになったわけですが・・・、より中央に近づいていく行程と、自分が関東に帰りやすいコース設定がシンクロするのは当然かな。 盛岡城まと…
〇戸城を巡るというシルバーウィークのテーマもこの一戸城で最後になる。 六戸城と二戸城は今のところ確認できていないようである。二戸城は九戸村から九戸氏がやってきて築城しちゃったからなあ・・・。 〇戸という地名は、いくつかの村と牧場で構成された…
少数で大軍を相手に戦う、という図式はどうも人を引き付けるものがあるらしい。 九戸城を舞台にした九戸政実の乱も、そんな戦いの一つだ。 イメージ的にはごついおじさんだけど、現在地域で売り出し中の九戸政実はこんな優男。 コキャっと言わされそう。 九…
座敷童で有名らしい金田一温泉のある駅で電車を降りる。もっと駅から遠い、人里離れたところにあるというイメージだったので意外である。今回は温泉には行かず、懐かしい感じの商店街を抜け、四戸城へ向かう。 四戸城は地名ではなく人名から来ているようであ…
八戸城は本八戸駅のすぐ南にある。西側が深く落ち込んでおり、高い建物もないため美しい夕日を見ることが出来る。家族連れやカップルなどの集まる美しい公園になっている。 もう一箇所行きましょ。 駅近物件。 八戸城まとめ。 訪城日2015.9.20夕暮れ 天候:晴…
根城は八戸南部氏の城。三戸南部氏が台頭してくるまでは宗家だっただけあって、大規模な屋敷に来客用の施設まであるという外交の場でもあった。 根城まとめ。 訪城日2015.9.20午前 天候:曇りのち晴れ— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 10…
五戸城まとめ。 訪城日2015.9.19 午後 天候:晴れのち曇り— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 10月 25 五戸城(館)は南部26代信直の時、木村氏によって造営された。対津軽藩の防備を考えた三戸城の前進基地であったらしい。現在は五戸の図書…
城巡りまくるぞー!と、 シルバーウィーク初日、意気揚々と北の地に降り立った我に降りかかる暴風雨。 盛岡くらいまでは快晴だったのに。あんまりだ… 七戸城まとめ。訪城日2015.9.19 午前天候:大雨〜小雨— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) Octo…
徳島ラーメンを瞬殺し、台風のような風雨の中、徳島城へ。 徳島城は四国平定後阿波の国を与えられた蜂須賀家政が築城。標高約61mの城山部と麓の御殿部からなる平山城。助任川と寺島川の間に囲まれた自然の要害を利用して、東側は水堀で切って守りを強化。 #t…
2015年、最高の夏休みの記録。 今日は潮くん、もとい、安芸国虎を追いかけて安芸を巡って参りました。 た、タイガース… pic.twitter.com/eXehtuPMGi— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 9月 4 野良時計。明治二十年ころ、土地の地主だった…
丸岡城は柴田勝家の甥勝豊が築いた平山城。これらの図は本多時代のものなのですっかり近世城郭。広い水堀で囲まれている。面白い縄張りだなあ。残ってないのが残念。 #maruokajo pic.twitter.com/FSItfzGXsY— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2…
和歌山城は羽柴秀長が虎伏山に築いた平山城。藤堂高虎(普請奉行)が手がけた最初の本格的な近世城郭。城代として桑山氏、後に浅野氏を経て御三家紀州藩の城となる。8代吉宗、14代家茂を輩出。 #wakayamajo pic.twitter.com/hbwhTvtN6D— メカマツオが正常に働…
大庭城は相模にあった中世城郭。詳しいことはよく分からない謎多き城ではあるが、玉隠和尚語録によると、どうも扇谷上杉氏の拠点のひとつらしい。公式の太田道灌築城→北条氏に攻略され支城に、というのは根拠のない推測である。 #oobajo pic.twitter.com/dDH…
雑賀城の1kmくらい北にある秋葉山公園。大きなプールもあり、遊具も整備された綺麗な公園だが、かつて大きな戦いの舞台になった場所である。 弥勒寺山城は天正5年織田の紀州征伐の時に雑賀側が陣地にした。川に予め埋めといた桶壺に、先陣切って渡ろうとし…
雑賀崎城からバスで市街地へ戻って来た。 雑賀城跡?とされている津屋公園(城跡山公園)。下は本当に普通の公園で、小高い丘の上から北側に雑賀城があったということになっている。本当かなあ。 #saikajo pic.twitter.com/BxC3rA3AP8 — メカマツオが正常に働…
雨の降りしきる中、小田原城御用米曲輪発掘の現地説明会に行ってきた。 石組水路のあと(*゚∀゚)=3これすごい!これすごい!資料にあった湯屋のあと(?)ってこれかしら。排水路ってことなんですかね?三郎入ったんですかね?(しつこい) #odawarajo pic.twitte…
という訳で?亀山を後にして京都の中心部へ。 「敵は本能寺にあり!」と叫んで丹波亀山城を出た明智光秀は、JR山陰本線(普通)に飛び乗りました。 #本能寺が変 pic.twitter.com/y4wRsLQbnd — メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年2月22日 いや…
天候不順のため、山城を諦めて、予備プランの本能寺の変を辿るルートにした。 まずは明智が出陣した丹波亀山城へ向かう。が、その前にちょっと寄り道。 余部城は応仁の乱の時に東軍の軍事的拠点として使われた。戦国時代は明智が丹波平定するまでは、八上の…
いきなり逆方向に進みつつ、何かと物議を醸している杉山城にやってきた。 杉山城は横矢掛かりや食い違い虎口など高度な築城技術を駆使した山城。かつては技術の高さから後北条氏の城とされていたが、発掘調査により年代が遡ることになる。いわゆる杉山城問題…
宇和島城は藤堂高虎が山城から近世城郭へ改修し、後に伊達政宗の長男、秀宗が城主になった城。古絵図を見れば分かるように当時は海に面した海城。外郭線が五角形の形をしている巧みな縄張りで有名。 #uwajimajo pic.twitter.com/AiGeN1iKjp — メカマツオが正…
天守を木造で復元したことで有名な大洲城へやってきた。城の面した肱川は肱川あらしといわれる自然現象が起こるのだが、到着した時は無風状態、城も城下も朝霧に包まれていた。 大洲城は鎌倉時代伊予の守護、宇都宮氏の地蔵ヶ岳城を前身とした梯郭式平山城。…
小丸山城は前田利家が本拠地を七尾城から移す時に築城された。イラストからすると独立した四つの丘を橋で繋いで使ってるようだ。面白い形である。 #komaruyamajo pic.twitter.com/eskKcKbJcD — メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2014年11月30日 …
大げさなこと書いてるけど、電車の話。ここから先はバスしかないのである。 路線の名前はのと鉄道。七尾湾沿いを走る、かわいい鉄道である。タイミングよく「花咲くいろは」電車に乗ることができた。 なんか!かわいい!電車キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! pic.twitter.c…
新府城は天正の織田軍甲斐侵攻に備えて、武田勝頼が真田昌幸に作らせた。七里岩の断崖を利用した堅城。武田氏館から移って間もなく、追い詰められた勝頼は自ら新府城に火をかけ、天目山の麓、田野の地に斃れることになる。 #shinpujo pic.twitter.com/Cq67aN…
甲府城は織田に武田が滅ぼされた後、織田→徳川→豊臣→徳川→幕府直轄となる城なので、武田には関わりのない城である。幕末に新選組もとい甲陽鎮撫隊が辿り着けなかった城でもある。一条小山という独立丘陵に作られた梯郭式平山城。 #kofujo pic.twitter.com/tE…
滝山城は関東管領山内上杉氏の重臣大石氏によって築かれ、養子の北条氏照が入城後大きく拡張したとされている。たくさんの曲輪からなる比高40メートルほどの平山城である。上杉武田の猛攻にも耐えた堅城。 #takiyamajo pic.twitter.com/nLtWIv96yb — メカマ…