南国の虎、最期の地【安芸城】
2015年、最高の夏休みの記録。
今日は潮くん、もとい、安芸国虎を追いかけて安芸を巡って参りました。 た、タイガース… pic.twitter.com/eXehtuPMGi
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015, 9月 4
野良時計。明治二十年ころ、土地の地主だった畠中源馬がアメリカから掛時計を取り寄せ、分解と組立を繰り返して仕組みを学び一人で自作したという時計。対義語は飼い時計? pic.twitter.com/3cnBgqGjqI
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町中がかっこいいのである。武家屋敷もいくつか残っているようである。 pic.twitter.com/KhsiD4Fc4v
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公開している武家屋敷野村家。武家屋敷と大名屋敷は違うんだなと。今の一軒家に近いかな。 pic.twitter.com/SNCEre2b7z
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今日のメイン、安芸城。安芸城は鎌倉時代に土地の豪族安芸親氏によって築かれたという。後に長宗我部元親に攻められ落城、さらに山内一豊が入り、家臣の五藤氏に任せる。小高い丘に本壇を構え、麓に堀や土塁で固めた屋敷があったのかな? #akijo pic.twitter.com/T2ddt82K4M
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というわけで南側の水堀と腰巻石垣の土塁、真ん中の橋を渡って城内に入っていく。 #akijo pic.twitter.com/GN7ywGr2eE
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枡形虎口になっています。櫓門があったらしい。新しい。五藤氏時代というので。復元ですよね? #akijo pic.twitter.com/KmqM0qcXNP
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城内から。ぐるっと土塁を作ってますね。 #akijo pic.twitter.com/83PXAAMhkY
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五藤家安芸屋敷ってこの建物なんですかね?まあいいや。他に歴史民俗資料館と書道美術館がある。歴史民俗資料館には安芸国虎の書状の写しがありました。 #akijo pic.twitter.com/FZHqPwK32t
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本壇の下の部分なんだけど石組がありますね!(;´Д`)ハアハア #akijo pic.twitter.com/tAL4sJMRSB
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いそいそと登って行くと、すぐ小さな曲輪に出た。安喜土居内外細図では本壇の下に二つ曲輪がついているその南側のものだろう。 #akijo pic.twitter.com/MfWurHfg4t
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太い線が堀切を表しているのかな。軽く堀切っていて、先端も平場になっている。当時の城道と同じであればここから登って来る敵を狙うわけですな。 #akijo pic.twitter.com/j117Kl8U0A
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そしてもう一段上の曲輪。ここは一面平場になっている。 #akijo pic.twitter.com/T2Pi4WdTUy
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どちらも逆側は平らっぽい雰囲気だ。細図でも帯曲輪があるように見えるのでそういうことなのかな。 #akijo pic.twitter.com/OGCxmnoYUo
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そのすぐ上はもう本壇になる。広い曲輪があり、虎口の左右には土塁が。この土塁、途中で切れてるのはその先に川があるからかしら。とか思ってたんだけど #akijo pic.twitter.com/wgOU54PHgQ
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よく見ると本壇の北端、一段下がって曲輪があるんです。逆側から見るとよく分かる。 #akijo pic.twitter.com/U8oQbujWoE
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この段差、近づいてみると石組なのである。ほんで、細図でこの部分がどう書かれているかというと、太い灰色の線を細かく区切ってあるように見える。これが石組の表現なのかもしれない。となるとさっきの堀切部分も…? #akijo pic.twitter.com/HDyVeEKEBJ
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よく見ると本壇にも、麓にも石がころころ落ちている。もしかしてぐるっと石組で固めた城だったのかもしれないという妄想が… #akijo pic.twitter.com/VcmayrL38k
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麓部分に五藤家の祖先をまつる藤崎神社。越前朝倉攻め時に矢が顔面を貫通したまま戦い続けた一豊様の矢を顔を踏みつけて抜いたのがこの五藤氏だったと。その時の鏃は五藤家の家宝に、草履は神社の御神体になったと。鏃は資料館で見られる #akijo pic.twitter.com/xiGsmorJMS
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美術館横に毒井戸跡。長宗我部軍に城を囲まれ、籠城24日、対岸から火矢を放たれ城が炎上。いよいよ追い込まれた安芸軍からこの井戸に毒を投げ込み寝返った者が出た。安芸国虎は覚悟を決めて浄貞寺で自害した、という井戸らしい。 #akijo pic.twitter.com/xTKF498Yho
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安芸川に行ってみた。というかほんとすぐ東を流れていた。1枚目の写真左側緑の濃い塊が安芸城。これが堀の役目を果たしていたのか。綺麗な川です。 #akijo pic.twitter.com/1p5uWcg0RH
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しみじみしながら安芸城を後にし、お昼ご飯を食べ、岩崎弥太郎の生家へ。この標識わかりやすいなwww銅像は安芸駅前から移動してきたらしい。立派な家で驚いたが、段階を踏んで拡張したらしい。 pic.twitter.com/CXtlvFJeJP
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客が我一人だったらしく観光ボランティアガイドのおじさんが長々と弥太郎の一生を話してくれたよ。ぐったり。
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これが有名らしい。影よ…。日本列島に見立てた石。龍馬伝でも出てきたって。おぼえてないなあ。 pic.twitter.com/38NYMnycTl
あ、出た!三菱マーク!由来知らなかったなあ。あとこれ、蔵の壁についているやつ、水切瓦というらしいです。安芸から室戸までの地域しか見られないんだそうで。台風の時に雨がはけやすいようになんだそうで。 pic.twitter.com/htOEygxfQx
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そして安芸家の菩提寺である浄貞寺。もちろん国虎のお墓もあります。長宗我部に追い詰められた国虎が観念して、家臣や城兵の命を助けることを条件にここで自害したとのこと。 #akijo pic.twitter.com/6chjbo8qkg
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いい城主だなあ!って反射で思ったんだけど、大将ってそういうものなんだよな。ぱっと思いつくだけでも小田原での北条兄弟もそうだし、備中高松城の清水宗治もそうだよな。
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それでも家臣や近習が殉死してるようで、一緒にお墓がありました。良い主だったのでは。奥さんのお墓は塀の外にありました。厳しい。 #akijo pic.twitter.com/0XmzufSds9
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その上の段に安芸神社が。殉死者も含め、神様になられたようです。 #akijo pic.twitter.com/lwJhlmGESc
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安芸城
高知駅 --- JR土讃線 --- 後免駅 --- 土佐くろしお鉄道ごめんなはり線 --- 安芸駅*1
【安芸城】
安芸駅から自転車で約15分*2→ルートA
【岩崎弥太郎の生家】
安芸城から自転車で約10分→ルートB
【浄貞寺】
弥太郎生家から自転車で約10分→ルートC
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