歴史を体現する城 【九戸城】
少数で大軍を相手に戦う、という図式はどうも人を引き付けるものがあるらしい。
九戸城を舞台にした九戸政実の乱も、そんな戦いの一つだ。
イメージ的にはごついおじさんだけど、現在地域で売り出し中の九戸政実はこんな優男。
コキャっと言わされそう。
九戸城まとめ。
訪城日2015.9.22午前
天候:晴れ
9月…orz
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
九戸城は二戸市にある九戸氏の城。ややこしい。九戸の乱の舞台にもなった城。群郭式の縄張りに手を加えて近世城郭の縄張りに改変。どちらの痕跡も見える面白い城。白鳥川と馬淵川、猫渕川に三方を囲まれた要害。 #kunohejo pic.twitter.com/ZAwPgewXTF
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
二の丸と松の丸を隔てる堀跡。現在道路が走っているが、堀底の幅は60mもある大規模なもの。時期によっては水堀だったとある。どういうことだろ。 #kunohejo pic.twitter.com/YcEwtKxzxP
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
先程の道を進んで見えてくる(二の丸)大手虎口。これは…どこを通ってたんだ?枡形だったらしいので素直に現在の舗装路かな。土盛を回り込む形。 #kunohejo pic.twitter.com/ylzqzq7PZM
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
入って正面には広い郭と、本丸の堀が見える。トイレのある区域からは枡形虎口の土塁基底部や井戸、掘立柱建物跡、などが見つかっている。刀傷痕のある人骨の土坑墓なども。トイレは掘立柱建物と向きを同じに建てられている。 #kunohejo pic.twitter.com/8dwH6q2gjn
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
とにかく広い二の丸。本丸を挟み込む感じ。というか、元々一つの郭を二つに区切って近世城郭の縄張りにしたんだろうな 。その時に郭の名前も変わったのかな。#kunohejo pic.twitter.com/TucyOrtWwH
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
大手の反対側に搦手門跡。単純な坂虎口。 #kunohejo pic.twitter.com/RKuUp5duoN
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
この虎口を降りて、思わず驚きの声が出てしまったのが、この緑の壁、壁、壁。郭と郭の間の空間。高い切岸と堀、と言ってもいいのかしら。当時は堀底を行き来していたのだろう。 #kunohejo pic.twitter.com/FnyhL74RMH
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
外館(石沢館)跡。ここも坂虎口だった。のでやはり堀底道を歩いていたのだろう。二の丸に比べ、郭表面の作りが雑。郭線も曲線なので、中世期の遺構では。 #kunohejo pic.twitter.com/9WAKLCoj8L
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
外館(石沢館)から二の丸をのぞむ。大規模な工事に興奮し、何枚も写真撮ってしまった。これ壁から侵入するの大変だよぉ。 #kunohejo pic.twitter.com/K7NjOFSddc
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
外館を出て南東に進む。多分この先に猫淵川があるのだろう。そして南側のこの郭が若狭館跡なのかな。何も書いてなかったけど位置からするとここ。外館のような曲線の郭。 #kunohejo pic.twitter.com/BGUJMYjPkv
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
外館と二の丸の間の道を北へ進むと白鳥川の断崖。写真はアレだが、実際立つと足がすくむ斜度。 #kunohejo pic.twitter.com/IoIU1W4AEB
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
二の丸沿いに歩いて行くと、最終的に一番初めの堀に繋がるわけだが、西側には一部水堀のような名残があり、軽く土塁も伸びていた。また一段下では発掘してるようだった。 #kunohejo pic.twitter.com/THbopr884N
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
ここからは近世遺構になる。曲線の郭を矩形に区切ってある。奥州仕置後に蒲生氏郷によって手を加えられた部分。二の丸から本丸への虎口。堀は石垣でかためられて、橋がかけられていたのかな。 #kunohejo pic.twitter.com/jtHcrpuSUC
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
本丸大手口。屈曲して入っていく枡形虎口。横にまっすぐ低めの石垣が伸びる。 #kunohejo pic.twitter.com/oeV2NkhDgh
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
@mechamatsuo 逆から見た方がわかりやすい #kunohejo pic.twitter.com/0dImChi8Ko
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
本丸内部。基本他の郭同様広いが、堀石垣で区切られている。 #kunohejo pic.twitter.com/ujDMhrHtMZ
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
本丸隅櫓跡ってここで良いのかな。大手から向かって左手突き当たったところ。 #kunohejo pic.twitter.com/7UjOvlEz0a
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
そしてその手前、謎の位置に井戸跡。奥に見えるのはもう一つの虎口なので普通に通り道なのでは… #kunohejo pic.twitter.com/YebCwLPdsr
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
そして一番の見所とされているこの石垣。東北最古とのこと。綺麗な野面積!孕みもなく崩れもせず整然と並んでおり、実に美しい。 #kunohejo pic.twitter.com/gYFivcPVgj
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
本丸からの景色。平山城なのでそこそこの高さ。 #kunohejo pic.twitter.com/ruRHWEVWiT
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
本丸を跡にして道の対岸、松の丸へ。…墓地ですな。地図を見ると大分広い地域が郭だったようだ。 #kunohejo pic.twitter.com/8PKgdpgsFF
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
九戸城、縄張的にもパーツ的にも飛び抜けて素晴らしいところはないのだけれど、中世城郭を織豊城郭に作り変えたという歴史的面白さがある。九戸の乱から奥州仕置を経て、豊臣に服従したことを城の改変を通じて、それを見せつけることによって分からせるという。 #kunohejo
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
あああと!九戸城ボランティアガイドのおじいさん、案内断ってごめんなさいでした!隅から隅まで見たかったもので。ガイド施設も映像もパンフレットも充実しており、皆様親切だったことをここに記しておきます。 #kunohejo
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) December 29, 2015
九戸城
IGRいわて銀河鉄道 二戸駅より徒歩25分
クリックすると経路が表示されます↓