館+山城の見本のような ~色部勝長~ 【平林城・加護山城】
GW夜叉衆家庭訪問の旅、一城目は夜叉衆の良心、色部さん!
JR平林駅より徒歩20分程度で色部氏の菩提寺千眼寺へ。天正16年に色部長真が創建。勝長の二代後ですね。石段の上にある保呂羽堂は天正19年に長真が建立。 #hirabayashijo pic.twitter.com/tgKoDaSgIL
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
境内には色部公追念碑がある。昭和45年に色部公の遺徳を偲び、米沢市から分霊したとのこと。慕われていたんだなあ。さすが色部さん。 #hirabayashijo pic.twitter.com/HC9i6RZZXw
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
平林城はもともと豪族平林氏の城であったが南北朝時代に色部氏に攻められ没収
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
、後に米沢へ移るまで色部氏の居城であったとされている。麓の広大な城館と背後の堅固な山城からなる。 #hirabayashijo pic.twitter.com/iFxEwGhyHm
千眼寺から徒歩10分程度で平林城へ。まず見えてくる高い高い壁。山の一部かと思っていたので驚いたしめっちゃ興奮した。堀が巡っており、虎口は綺麗に整備されている。案内図の北門のところかな #hirabayashijo pic.twitter.com/k6QXNfQQ21
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
城館の最西端、壁の上の曲輪が三の丸。軽く土塁が巡っている。 #hirabayashijo pic.twitter.com/mJZjjnXPLf
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
三の丸南側枡形虎口。草が生えているのでなんか四角く凹んでるなあくらいの残り具合。案内図見るまでは確信が持てなかった。 #hirabayashijo pic.twitter.com/BuYwAs21LA
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
地面に残る窪みは井戸跡だったらしい。三の丸はとても広い曲輪で現地を歩いて見ると、ところどころに高まりが見え、ラインが確認できる。区切られて使われていたのかな。 #hirabayashijo pic.twitter.com/qgevHcmJ3v
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
三の丸から二の丸にかけて緩やかに上りの傾斜がついていて、境目にまた規模の大きい土塁がある #hirabayashijo pic.twitter.com/UZqO9vi8J0
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
別角度から。一回深めの折れが入っていて堀底を進む敵を想定した作りになっているのが分かる。岩館土塁と書かれており三の丸側には岩館曲輪と書かれている。いつの時代の呼び名だろうか。 #hirabayashijo pic.twitter.com/FBczvHNa5x
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
二の丸。南側に壁の内つつみという水場がある。二の丸にもいくつかの高まりがある #hirabayashijo pic.twitter.com/vRnRCKjmsu
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
二の丸の東側にも大規模な土塁が巡っており、裏は空堀に。この土塁も実に見事で興奮した。この切れ目から背後の加護山へ続く登山道が続いている #hirabayashijo pic.twitter.com/tTRhBoyczr
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
二の丸から本丸への虎口。殿堀という空堀と土塁で隔てられており、堀の中からは木の橋脚が見つかっていることから木橋だったことが分かる。本丸側からは門の礎石跡が発掘されている。 #hirabayashijo pic.twitter.com/LFeqQ5zyZN
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
山側の土塁、一部途切れているところがあって何か深い意味があるのでは!?と考えながら歩いていたが、案内図見たら破損の跡とあった。破城でもなさそうだし自然に壊れたのかな。 #hirabayashijo pic.twitter.com/bfsxn5Otqk
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
山城部へ進む。少し登ると城戸門の跡。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/0PFDJvXXWq
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
また少し登ると長辺田の馬洗場という拾い平場に出る。うーん。城館部ではダメなんですかね。有事に籠るから?戦に必要だから?うーん。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/CM5gAKHUhN
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
首切り清水跡。処刑場の跡であり、勝長公の時代にも謀反人を処刑したという記録が残っているらしい。現在も水が湧いているようだが、茂みで見えなかった。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/89WoMhE22a
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
麓近くは緩やかな道であったが登るにつれてだんだん山城らしさが現れてくる。七曲坂を越えるといよいよ頂上が近い。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/9rjsNCBgij
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
主郭の一段下の帯曲輪。主郭側は高くなっている。熊蜂が多くて入れなかったが主郭部北側は堀切で区切ってあるようだ。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/jzAZjNyXqH
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
南側の主郭部。櫓でもあったのか一段高くなっている。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/XoKFleM8S8
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
主郭からの景色。城下の様子がよく見える。 #hirabayashijo #kagoyamajo pic.twitter.com/wOIaUHWm59
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
下山。北東側は本丸から三の丸への輪郭をなぞるように川が流れており、平野側には高い土塁で壁を作り、背後は山城で守るというスタンスであるようだ。構造自体はシンプルだが、とにかくスケールがでかい。素敵な城でした #hirabayashijo pic.twitter.com/xd3i1G96ZV
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月31日
平林城
クリックすると経路が表示されます↓