軍神も認める名城【七尾城】
あの城やべーぞ、という城ほどなかなか行こうとしない天邪鬼な私。今年のハイライトとしてついに七尾城を訪れることにした。行ってみた感想は好み過ぎてマジヤバイ。
七尾城は名門畠山家の居城。上杉謙信も絶賛。山頂から尾根上に曲輪を配置、麓まで城域という珍しい山城。総構えという名称がある通り、家臣屋敷や寺などもあり、有事の拠点ではなく生活や政治拠点でもあった。 #nanaojo pic.twitter.com/sEHjmw3ocr
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2014年11月24日
七尾駅からてくてく歩いてくると、逆光で読めないけどこの石碑にぶつかる。七尾城址登口と書いてある。これと、↓の料理旅館七尾城の地図表示に惑わされ、ここから登ってしまった。http://t.co/4amfiDwdlH #nanaojo pic.twitter.com/pEeLiCNeSI
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この道は車で本丸下まで登るための道であり、徒歩で登るのは七尾城址資料館裏の旧大手道が良い。絶対。くそう。
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途中の山の中で大門道というのがあったが、行ってみたらカーブして元の道に戻った。なんだこれ。 #nanaojo pic.twitter.com/wXpUcNphgw
七尾城史歴史資料館。畠山氏の子孫である畠山一翁氏によって建てられた。資料館のおじさんの説明によると畠山氏は三代までは京と同じ生活をしていた(歌会の記録あり)、→ #nanaojo pic.twitter.com/A36jnl5FSW
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→謙信公が七尾城を攻め落とした後、九代目が謙信公の養子になり、七尾城主になる予定だったが謙信公急逝でワヤになったこと。その後は家臣達の下剋上により、畠山家は追いやられてしまったとのこと。ここにも謙信公の死に運命を変えられた人が… #nanaojo
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当時の大手はこちら。右手側には妙国寺跡とのことだが見ての通り藪。大手に平行して一段低い道があり、蔵屋敷跡がある。段状の曲輪がいくつか見られる辺りだと思う。 #nanaojo pic.twitter.com/6B3n4AQzfi
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赤坂口には門があり、大手へ繋がる。ボブスレーのコースのような底のえぐれたくねくね道が続く。長坂というらしい。道道に詰まれたこの小石なんだろう。賽の河原的な… #nanaojo pic.twitter.com/y8zWJwRuaR
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時鐘跡。道の横、大して幅もないスペースにあったんだな。ちょっと崩れちゃってるのかも。 #nanaojo pic.twitter.com/krZCqGS8iO
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七曲り。かつては七曲り半くぼと呼ばれていたとか。写真の通り急カーブの連続で先は全く見えない。また左右は深い谷になっていて、地形を利用した巧みな縄張りに唸ってしまう。 #nanaojo pic.twitter.com/7AXigcPpv8
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七曲のところに楼門があったらしいが、そこを越えるとまた脇に番所がある。うっかり通り過ぎてしまったほどだが、分け入ると道側が土塁のようになっていて、さっきよりは広い平場が見えた。 #nanaojo pic.twitter.com/o5jSg0EHZy
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沓掛場で一本だった道が二つに分岐する。この辺のことなのだろうか。身なりを整えるという砦的な城では見られない空間。左に進むと調度丸から本丸へ。右に進むと三の丸方面へ。 #nanaojo pic.twitter.com/r4wZULVo25
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右に進んで袴腰という腰曲輪へ。そんなに広くない。展望所のようになっている。 #nanaojo pic.twitter.com/MFin1qszxb
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袴腰の先、かなり広い空間が安寧寺跡。畠山氏の墓碑や慰霊碑などがある。昼間でも薄暗く静かでお墓にもってこいの場所だ。 #nanaojo pic.twitter.com/auNRKDfsXN
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ちっちゃな曲輪を経て三の丸へ。この階段の上。一番大きな曲輪。二の丸との間の堀切も深い。 #nanaojo pic.twitter.com/M3aMOciSZQ
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二の丸側虎口。なにやら石積みがちょこちょこ顔を出している。区切って使われていたのかもしれない。石塁土塁のようなものも見える。 #nanaojo pic.twitter.com/zT0xgNWXtU
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さっきの深い堀切を降り、また階段を上がる。かなりの高さ。二の丸下、斜面に石垣がチラ見え。 #nanaojo pic.twitter.com/BLGRUOgevq
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二の丸。本丸に次ぐ第二の拠点であり、尾根の分岐点にあたる。三の丸側に櫓があったような平場が。 #nanaojo pic.twitter.com/zp1BSGVpdB
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二の丸主郭側虎口。内側に向けて石垣を積んでいるのは不思議な感じがします。此方側に続く温井屋敷を警戒してたと考えるのは穿ち過ぎだろう。純粋に高さを調整するためだったのかなあ。 #nanaojo pic.twitter.com/kQfU14kWCP
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温井屋敷跡。家臣の温井氏の屋敷跡(そのまま)ここも石敷きが確認できる。この先に虎口あり。西の丸側の虎口両脇に土塁かな。二の丸側は大分低くなってる。 #nanaojo pic.twitter.com/cFo6Pcoj8r
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石敷きの先。九尺石とは角の石か。城の鎮護の石。城でも一番大きな石が使われた石垣。場所から言って鏡石的要素はないな。道は行き止まりになっているので見学者用に作られた道なのかなあ。側面は段状になっているように見えるが… #nanaojo pic.twitter.com/UzugYsBT72
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西の丸に入る道はないようである。無理矢理行けば入れそうだけど。写真右奥への坂道の先がそうだと思う #nanaojo pic.twitter.com/TuwkbUa78y
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この先、沓掛からの道と合流するので一旦沓掛まで戻り、道なりに進むと樋の水。貴重な水源で、現在も湧いている。でもこれ上の石垣崩れない?どきどき #nanaojo pic.twitter.com/N8ABSfs8wX
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この先、こんなワクワクするような道に続くのだが、寺屋敷にも行ってみる。代々の墓守を兼ねた僧兵が居住していたとのこと。あれ?ガードマンじゃね? #nanaojo pic.twitter.com/2xyezBjVFO
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この城はここからが本当に圧巻!左右から段を重ねて石垣が現れる。当時は木はなかったかもしれないけど、苔生した石垣とのコラボレーションが素敵すぎる。防御にも有効だろうけど景観作りにも一役買ってると思う。 #nanaojo pic.twitter.com/IspaEwhiR1
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道は左に折れ、調度丸に出る。武具などを整えたところ。やっぱりやる気まんまんでは。ここも石敷きが残っている。 #nanaojo pic.twitter.com/kjcD25C65h
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ちなみに車で来ると、こんな感じで調度丸へ続く道に出る。歩きなのに車道を上がってきて二度がっかり。ちなみにこの車道を登って行くと、百間馬場だった展望台に出る。なんで一番高いところに馬場? #nanaojo pic.twitter.com/ctuAOI1pOu
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同じ写真いっぱい撮っちゃうマン。七尾城の写真の定番でもある。調度丸から左側に登城路が続き、階段になる。小さめの丸っこい石が多い。川の石なのかな。石の中には割れちゃってるのもある。 #nanaojo pic.twitter.com/wy8DL7FiSG
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右側から五段の石垣の圧迫を受けつつ、桜馬場虎口。軍馬の調練を行なったとのこと。門はあったのかな?正面左側に進むと本丸、右側に進むと温井屋敷から二の丸方面。 #nanaojo pic.twitter.com/megClJgJ2m
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桜馬場の石垣の左側の遊佐屋敷跡。本丸直下ということで遊佐氏の権力のほどがわかる、と思ったら逆らしい。この位置にあるので遊佐屋敷だと推定される。とのこと。道は曲輪を通り、 右に折れる。#nanaojo pic.twitter.com/l2kFXqW5kq
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さっきの道折れ曲がったところ。右手が登り石垣みたいになってて、左側が三段の石垣。さすがにここには門があったでしょ?虎口右側は土塁。 #nanaojo pic.twitter.com/aw16RccK4e
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本丸側から。絶景かな絶景かな。七尾湾が望める。 #nanaojo pic.twitter.com/kI3NjOujDy
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本丸に建てられた城址碑。近寄ると読めるでしょ七尾城址って。長屋敷と百間馬場方面。展望台っぽいのが見えなくもない #nanaojo pic.twitter.com/cUBtq8jdij
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本丸奥に城山神社がある。後ろに土塁があり、本丸との高低差もそれなりにある。天守的な何かが???(妄想) #nanaojo pic.twitter.com/D7aUNouW85
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謎なのが、神社西側のこの堀切っぽい虎口っぽいところ。進むと小さな曲輪のようになっている。石が積んであるということは自然地形ではないだろうし。隠し通路的なものを感じる。 #nanaojo pic.twitter.com/1lVkwtd0aj
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こんな感じで桜馬場の裏手に繋がる道がある。もしかして敵に攻められた時、逃げる為の道なのでは?温井屋敷の九尺石のところも道が繋がっていれば逆側に出られるのでは(妄想)。見学ルートを一方通行にする為の道だったりして #nanaojo pic.twitter.com/v4KqFx4i5O
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でも登城路が一本しかないなんてことがあるのだろうか??? #nanaojo
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七尾城史資料館のパンフレットの中に面白い絵図あった。いつ誰が書いたのか一切書いてないけど。今の車道が当時の登城路の一つだったのかな?天守台ってありますね。遥拝地=神社かな。本丸の窪み井戸跡で良かったのかこれ。 #nanaojo pic.twitter.com/tElgvhO9pS
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2014年11月24日
七尾城の石垣について。古い時代の石垣は高く積む技術がなくて、低いものを段状に積むしかなかったって聞いたことがあった気がするな。あの丸っこい石を崩れないように積むの大変そうだもんな。 #nanaojo
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七尾城
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*1:→ルートA 車道を歩くルート。行くならばルートBの資料館裏のルートが断然いい。