尾張名古屋は城で盛る 【名古屋城】
名古屋市博物館の「三英傑と名古屋」展を見に日帰り弾丸ツアー。博物館行く前に名古屋城歩いてきた。盛り盛りですよ。ほんとに。
名古屋城は家康の九男、義直を初代城主に代々尾張徳川家の居城になった城。天下普請で建てられた梯郭式平城。 #nagoyajo pic.twitter.com/AVikKJccDr
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2014年12月30日
外郭には大規模な空堀と石垣、土塁が残されている。石垣の切れ目である橋を渡って三の丸へ入って行く形。 #nagoyajo pic.twitter.com/aRkHrRodJL
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かなり高い石垣&土塁。 #nagoyajo pic.twitter.com/eAX9H6ErJT
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県庁、警察署、裁判所、神社、病院etcの集まっている地区が三の丸跡。写真のホテルみたいな建物は病院。 #nagoyajo pic.twitter.com/P5N2OHJsng
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二の丸堀。かなり広い堀幅、折れを伴う石垣。お見事。 #nagoyajo pic.twitter.com/HJlu4fp54R
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二ノ丸大手二之門。桝形になっているが残っているのは高麗門のみ。無骨な感じの石垣である。 #nagoyajo pic.twitter.com/kdHgzQdZCO
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二之丸は半分有料ゾーン、半分は愛知県体育館があるこの曲輪。かなり広い。 #nagoyajo pic.twitter.com/nlY6s34owV
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逆側虎口も桝形になっている。この石垣、江戸城天守台に似ている。白い石を使って石の大きさを揃え、横目地が通っている。角が不自然なので近年積み直したのかな。 #nagoyajo pic.twitter.com/nfe2iRdYcI
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三の丸方面から。前も気になったんだが、堀の中にあるこの土盛りはなんだ。浪岡城のような中土塁ではないよな… #nagoyajo pic.twitter.com/lLrNEwdT8Z
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東門と正門(現在の呼び名)を一旦通り過ぎ、外堀の外を歩いてみた。西側から北側にかけて水堀になっている。近世城郭らしい幅の広い堀。 #nagoyajo pic.twitter.com/Rr8pUIO4MH
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北西に西北隅櫓。工事の関係で城内からは近づけなかった。漆喰塗り三層袴腰石落とし付きですかね。北側からも天守が見えるが、西側同様、石垣の折れにより距離がかなり開いている。 #nagoyajo pic.twitter.com/Xmgkli4iFK
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ここも、鵜の首になるのかな。工事中のあたり。北東の水堀が終わる地点は植物が大分生い茂っている #nagoyajo pic.twitter.com/15fQ0b5C57
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正門まで戻って有料ゾーンへ。橋を渡ったところに櫓があったのだろう。正門(大手ではないよな)の櫓門とで桝形を作っていたのだろう。大きくて白い綺麗な石を使っていて立派な門だなあ。 #nagoyajo pic.twitter.com/C0XEyD0qY0
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城内から。入ってすぐのところは西の丸。 #nagoyajo pic.twitter.com/mPn0y83Rso
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手前の櫓が西南隅櫓と内堀。二層三階だそうで。石落としは二階部分についてるのかな?奥に天守が見える。というか、天守大きいので大体どこからでも見える。 #nagoyajo pic.twitter.com/qwfS5xHiRb
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大手馬出跡。西の丸と堀で隔てられた馬出しがあり、本丸への虎口を守っていたとのこと。見たかったなあ。この奥、土塁の上に上がれるようになっていた。 #nagoyajo pic.twitter.com/HlCjqvKzX1
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本丸を通り過ぎ、東南隅櫓。多分気のせいだが西南の櫓よりずんぐりむっくりしてる気がする。かつては左右に多聞櫓が続いていたとのこと。逆側の堀は深く内側に入り込んでいる鵜の首。この先は二の丸になる。 #nagoyajo pic.twitter.com/f39JLiKVwi
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二の丸との間に清正石曳きの像。清正曳いてないじゃん。 #nagoyajo pic.twitter.com/YG3r2XFP3U
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二の丸。かつては御殿や庭園があった。 #nagoyajo pic.twitter.com/Y72I2EwN7B
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池や茶室、暗渠の排水路遺構などが残されている。 #nagoyajo pic.twitter.com/QH4jwWU7mA
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そして二の丸の一角にかつて那古野城があった。織田方の城である。信長様が生まれた城とされていたが、近年の研究では勝幡城が正しいとされる。ただ、ここにも住んでいらしたのだわ。 #nagoyajo pic.twitter.com/hvZgO9caNT
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一部発掘調査中だった。新しい発見お待ちしています。 #nagoyajo pic.twitter.com/vNwEmos4xn
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この遺構がとても興奮したのだけれど、「南蛮たたき鉄砲狭間」。ほぼ石に見えるのだが、南蛮たたきという製法で固められた練塀らしい。二の丸北側の石垣上に並んだ鉄砲狭間。大分風化してしまっているな。 #nagoyajo pic.twitter.com/pyO11V43hD
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埋御門跡。二の丸西北にあり、有事にはこの門を通り、堀底を対面の御深井丸へ渡り、川へと逃げる脱出路となっていた。御深井丸は工事中で入れなかった残念。 #nagoyajo pic.twitter.com/IBqAhgibiY
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あれ?案内図見ると対面は御深井丸じゃないんだが…まあいいや #nagoyajo
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搦め手の虎口。 #nagoyajo pic.twitter.com/sGFiUfFmbY
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本丸への虎口は3つある。一つ目が大手にあたる本丸表二の門。補強されているが、創建当時のものらしい。桝形外の門。入ると右側に折れたところに表一の門跡。石落とし付きの二階建櫓門だったとのこと。空襲で焼失。 #nagoyajo pic.twitter.com/JNN7DaoVcb
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二つ目が搦手にあたる旧二の丸東二の門。これは二の丸の門の移築らしい。やはり桝形の外の門。入ると正面に清正石という巨石。内門の東一の門も二階建櫓門だったがやはり空襲で焼失。 #nagoyajo pic.twitter.com/JyNRU3ef9z
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清正石、搦手桝形を担当した黒田長政があまりにも巨石なので積むことが出来ず、代わりに清正が積んだとのことなのだが、搦手に巨石を積む意味とは?鏡石であれば大手に積まないとという気が。黒田の意地?でも積めなかったんだしなあ。 #nagoyajo
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三つ目は搦め手から北に回り込んだところにある、不明門。手前はどうも桝形っぽい感じになってる。入れないからわからんが。使われることのないいわゆる開かずの門だった。軒には槍の穂先を並べた剣塀が続く。 #nagoyajo pic.twitter.com/UUQtoCqy7W
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不明門手前には天守の礎石展示あり。また少し先に鵜の首がある。鵜の首とは堀を内側に入れ込み、道幅を狭めた部分のこと。敵の侵攻速度を緩める働きをした。 #nagoyajo pic.twitter.com/up5oqZptgW
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大手から本丸に入るとすぐ、復元中の本丸御殿が!うお!すごい!車寄せ付きの立派な玄関。一部公開が始まっている。 #nagoyajo pic.twitter.com/znrR1gKaYU
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新築だ!現在公開中なのは玄関、表書院、溜まりの間、中之口部屋のみ。完全公開は平成30年予定。楽しみだなあ。 #nagoyajo pic.twitter.com/wM8b4Oy8md
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この豪勢な部屋が、玄関である。一の間と二の間。将軍などの正規の客がまず通される部屋。一般的な玄関は先ほどの中の口部屋を使う。 #nagoyajo pic.twitter.com/mmoBt9o5x4
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表書院。藩主と来客や家臣との謁見の間。奥の上段之間は、藩主や重要な来客の座として使われた。 #nagoyajo pic.twitter.com/bws2E5Os9l
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復元工事の様子を今なら上から見られます。まだ骨組段階かあ。入口でヘルメットを渡される。得意だから任しておいてwww #nagoyajo pic.twitter.com/7pXxriISqA
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御殿を出て一番驚いたのは、あれ?本丸狭くね?でした。御殿も天守も同曲輪内に残ってる城なんてないから今まで気づかなかったんだが、実際に建物が建っていたら、どの本丸もだだっ広く感じないのだろうな。 #nagoyajo pic.twitter.com/P8Gq7xOUgH
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だははロクな写真撮ってない。天守は五層五階地下一階の層塔型天守。二層二階地下一階の小天守と大天守をつなぐ石垣上に土塀があり、これも槍の穂先を並べた剣塀。ええと、連結式天守になるのかな? #nagoyajo pic.twitter.com/jk4ci88yv8
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天守は鉄骨鉄筋コンクリート造りの外観復元。天守台も火で傷んでいるし、もう簡単に壊れないように、という願いが込められているのかもしれない。空襲で炎上する天守の写真、胸が痛い。さて中は博物館になっている。階段可愛い。 #nagoyajo pic.twitter.com/Pen8pFvWmR
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五階より。御殿完成したらまた来たいなあ。壮観だろうな。ごちゃっとしてるかもだけど。 #nagoyajo pic.twitter.com/j4KRPnHscV
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名古屋城の石垣はどれも美しいけれども!やっぱりピカイチなのはここなのよなあ。見事な勾配。天守東北隅北面の清正の刻印、初めて見つけられた!しかしこんな堂々と刻んで怒られなかったのかなあ。清正参上!的な。 #nagoyajo pic.twitter.com/0WHTyCStts
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他に見つけた刻印ちょろっと。27は違うよ。バッテンはそうだと思う。 #nagoyajo pic.twitter.com/cVs0GxpshO
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JR名古屋駅から徒歩30分
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