権力の移り変わりにより様相を変えながら、幾多の戦禍を潜り抜けてきた近世大城郭 【大坂城】
雨。雨!あーめーだー!!!(ヤケクソ)
寒さに凍えながら早朝の大坂城をぐるぐるし始めた。個人的にはこの段階の石垣をもって算木積みの完成としたい。 うつくしい。
大坂城は石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が築き、後に徳川によって改修された平城。上町台地の北端に位置するので、急坂などの高低差が結構見られる。北側の淀川と寝屋川?を天然の堀にして、堅固な石垣と大規模な堀で固めた近世城郭。 #oosakajo pic.twitter.com/rL2f1zbrCF
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月29日
東外堀。大阪城ホール側から向かって左側。二の丸の東側にあたる。豊臣期の堀跡に徳川が改めて石垣を築造。大正時代に埋められたが平成に復元。掘ったり埋めたり忙しい。堀幅最大90メートル。 #oosakajo pic.twitter.com/L42vnaKEfb
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東外堀と北外堀の間にある青屋口横の石垣。焼損が見られる。このあたりは明治維新でも空襲でも燃えてるみたいだ。徳川期の普請。刻印も多数見られる。 #oosakajo pic.twitter.com/lrYtNUqked
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青屋口。二の丸北側の虎口で出枡形になっている。創建は徳川期らしい。奥の櫓門である青屋門は昭和の再建。 #oosakajo pic.twitter.com/poNYQnxLYm
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青屋口を過ぎて北外堀。東外堀とはもともと繋がっていた。幅のある堀で、内側の石垣上にはかつて三層の伏見櫓があった。この先に京橋口。 #oosakajo pic.twitter.com/tT4ExCOfeg
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伏見櫓跡。二の丸の櫓のうち唯一の三層櫓で伏見城からの移築と伝えられる。昭和の空襲で全焼。 #oosakajo pic.twitter.com/gnrVDbfFRm
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北外堀沿いに歩いていった先、筋鉄門跡。二の丸から外の三の丸に繋がる門だったらしい。門は明治維新後も残り、大阪砲兵工廠の正門として使われていたが、現在は左右の石積みだけが残る。他と雰囲気が違う。面白い積み方だなあ。 #oosakajo pic.twitter.com/jAWJ7irVAD
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京橋口。枡形になっており、かつて多聞櫓があったらしい。このあたりも焼損が目立つ箇所である。 #oosakajo pic.twitter.com/3WvSX3Zb3N
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やたらと巨石を使った虎口。肥後石と呼ばれる石があるのもここ。実際は清正じゃなくてこのあたり担当の備前岡山藩の池田忠雄という人が運んだらしい。上辺の穴なんだろうって思ったら石狭間だった。上半分は建物に空いてたんだな #oosakajo pic.twitter.com/v9ypTWqsz1
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北西角にあるのが乾櫓。京橋口から大手口までを見渡せる。千貫櫓と同じ城内最古の建物。北南西どこからでも望めるので三方正面の櫓と呼ばれる。L字型で一階と二階の床面積が同じ。工事責任者は小堀遠州 #oosakajo pic.twitter.com/USY7eNtBKI
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西の丸内側から見た乾櫓。異形っぽい。 #oosakajo pic.twitter.com/oppJ1fthuu
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乾櫓を過ぎて西外堀沿いに歩いて行くと大手口になる。千貫櫓、多聞櫓、大手門を備えた強固な作り。 #oosakajo pic.twitter.com/3luX6wauBn
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大手口も枡形になっている。大手門も多聞櫓も工事中である。大手門正面にも巨石が使われている。京橋口の狭間も元はこんな感じだったのだろう。 #oosakajo pic.twitter.com/UlUD4Etp6g
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大手口をやり過ごし、南外堀へ。大坂城といえばこの二の丸南側の石垣が有名。かつては一番から七番までの櫓があったが、現存は一番と六番のみ。写真は六番櫓。美しい雁行である。 #oosakajo pic.twitter.com/ScjGb5D4me
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南東に歩いて来ると、一番櫓が見える。この先の虎口が玉造口。どの虎口も枡形に向かって緩やかに上がりながら直進する作りになってるなあ。 #oosakajo pic.twitter.com/6dzpWEe3Ag
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玉造口。かつて枡形だったのを陸軍が撤去したとのことだが、道が枡形っぽく進むようになってるなあ。石垣上の多聞櫓も明治維新の大火で焼け落ちたとのこと。石垣も焼損してる。なんか丸っこく積んであって海外の城っぽいな。 #oosakajo pic.twitter.com/Dkcbfes4U5
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さっきの丸い石垣。切込接布積み?端は算木積になっていないというか端ってどこよ。その先は小さめの石を谷積みにしてあるのでだんだん新しくなってる感じですかね。 #oosakajo pic.twitter.com/lwFEP6p9WN
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玉造口裏手。あまり洗練されてない積み方。南から北にかけて一気に低くなっているので、崖のようになっている。梅林のある曲輪との高低差はこんな感じ。 #oosakajo pic.twitter.com/NCTqzflQ4J
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玉造口南側にある算用曲輪。ここから東外堀に向かって下る階段がある。写真は下からだけど。ここはもう台地の端っこなのかしら。 #oosakajo pic.twitter.com/JTBPTCsBbP
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青屋門から二ノ丸へ入ったところ。左手には梅林、右手に進むと極楽橋と天守が見える。堀向かいの本丸石垣はかなりの高さがある。 #oosakajo pic.twitter.com/SFbfmDcKvV
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
城内には曲輪を石垣で区切って使用していた跡が見られる。輪郭式なので本丸周りぐるっと二の丸なんだろうな。 #oosakajo pic.twitter.com/NVcGxEPIw5
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
極楽橋をやり過ごして伏見櫓跡から京橋口方面へ。一応角が算木積みになっている。手前の面と奥の面が全然違う。奥の面が焼損してるので手前側だけ燃えたんだな。 #oosakajo pic.twitter.com/jNNWBDlchE
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
江戸期には京橋口入ってすぐのあたりに定番屋敷があった。この先は西の丸になるのだが、二の丸側からは入れないので、大手口へ回ることに。 #oosakajo pic.twitter.com/Wb7aREi94x
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大手を入ってすぐ西大番頭小屋跡。ここも雰囲気が違うよな。 #oosakajo pic.twitter.com/Xa8C3mD32Q
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西の丸庭園。普段は有料だがこの日は無料で開放していた。豊臣期には御殿が立ち並び、北の政所が住んでいた。関ヶ原まで徳川家康が住み、その後は城番が住んでいたようだ。徳川期には蔵が立ち並んでいた。 #oosakajo pic.twitter.com/9x97taz9hB
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西の丸と二の丸の距離感。本丸側が高いとはいえ、北政所にしろ家康にしろ淀殿へのプレッシャーなのでわ… #oosakajo pic.twitter.com/cmTbfhJWkk
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
そして西の丸には、大変珍しい石造の煙硝蔵が。かっこいいな。土製の煙硝蔵に雷が落ちて爆発しちゃったので石にしたとか。 #oosakajo pic.twitter.com/0erR28IrUG
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さらに西の丸には乾櫓、坤櫓(跡)、千貫櫓(工事中)が。千貫櫓という名称の櫓は全身の豊臣期、さらに織田期の大坂城にもあり、櫓からの横矢に悩まされ「千貫文かけても奪い取りたい櫓だ」と噂されたという逸話が残っているとか。 #oosakajo pic.twitter.com/GYT2CpNNxZ
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個人的に面白かったのが千貫櫓横の塀。向こう側どうなってるんだろ。 #oosakajo pic.twitter.com/u3vsMZPO4M
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西の丸を出て本丸方面へ向かうとまた石垣で区切られている箇所が。南仕切門の跡で、綺麗な切込接から比較的新しい時代のものと思われる。門の西側の石垣上には太鼓櫓が乗っていたらしい。奥に見えるのが六番櫓。 #oosakajo pic.twitter.com/XUhwB6pLSZ
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門手前に無造作に置かれている石。割れなかったんだろうな。あとこれ刻印?にしては細かいな。落書きっぽいけど。下の数字?はなんだろうか。 #oosakajo pic.twitter.com/K8c4uCeAVC
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門の先、石山本願寺推定地の石碑が建てられている。ここが、という訳ではないだろうけど。この辺一帯が、くらいかな #oosakajo pic.twitter.com/CLxhJCvHvS
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六番櫓と雁行の様子。上の方漆喰塗ってないんか。あと石狭間。上に塀があったのかな。綺麗に削ってあるなあ。このように横矢ばっちり。 #oosakajo pic.twitter.com/JcDgn9n0I6
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本丸虎口の桜門をやり過ごし、 #oosakajo pic.twitter.com/abV9ckcVIL
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本丸対岸の豊国神社。なんか秀吉の銅像が(笑)。そして上田から贈られた幸村桜が植えられている(T ^ T) #oosakajo pic.twitter.com/xp9X6RTWKt
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本丸南から西にかけての空堀は埋められた訳ではなく豊臣期から空堀だったようだ。理由は分かっていない。雁木坂が見えますな。 #oosakajo pic.twitter.com/bbXutoC3JN
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空堀と水堀の間に謎の仕切り。中は空洞になってるらしい。あれか。抜け穴か。(笑) #oosakajo pic.twitter.com/XJzsmjym6Q
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一番櫓。裏はパッとしないが、横に立って見ると玉造口をロックオンしていることがよくわかる。石落としもついているらしい。 #oosakajo pic.twitter.com/XFthupUyp0
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玉造口の近くにも石山本願寺関係の遺構?が。 #oosakajo pic.twitter.com/MkUJMIwfdL
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雁木坂。かつては石段の道であった。北から南にかけて急坂になっているが現在は盛土をして傾斜を緩やかにしてある。 #oosakajo pic.twitter.com/5iF82Au9A7
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
市正曲輪。梅林になっているここは、かつて片桐且元の屋敷があったらしい。青屋口から雁木坂、玉造口を監視する感じかな。 #oosakajo pic.twitter.com/KkdeUU3cKr
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年4月30日
天守の料金所を過ぎたところ。小天守台の上にある金名水井戸は徳川時代のものらしいが、小天守はなかったのかしら。 #oosakajo pic.twitter.com/4mSNFnSVep
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月10日
天守の最上階から西の丸方面と本丸。上から見ると分かりやすいなあ。 #oosakajo pic.twitter.com/KVddU7Oi9P
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月10日
じっくり歩き回ってみて、今ある姿はほぼ徳川時代以降のものであることを改めて体感した。あちこちで戦いの爪痕を残していて、まさに本来の意味での『城』を意識させるなあと思いました。何度も歴史の節目の舞台になった地だと思うととても感慨深い。 #oosakajo
— メカマツオが正常に働くために (@mechamatsuo) 2015年5月10日
どこからでもアクセス可。
大阪環状線 大阪城公園駅・・・大阪城ホール・青屋門・梅林・極楽橋
大阪環状線 森之宮駅・・・玉造口方面 一番・六番櫓 雁行は大手側西側から見ると美しい 大型バスの駐車場があるため団体客多し。
京阪本線 谷町4丁目・・・大阪歴史博物館 大手門
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